長崎くんち「銀屋町鯱太鼓」TOP銀屋町のくんち/傘鉾

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「製作者」 「鯱」 「出世鯉」と「龍」
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製作 収納箱に文政3年(1820年)、山本泰助長英作とあります。

その横に以下の職人等の名前が見られます。
大工 清水茂三郎 同 己之助。塗師 土佐原 関治。
左に書いてある名前は
田中順三季祿 同 虎之助

※平成22年11月15日、銀屋町の見解として傘鉾「流金出世鯉」の製作者山本泰助長英は、上野家5代目の上野若瑞(上野彦馬の祖父)であると発表しました。詳細は製作者のページへ移動してご覧下さい。

収納箱に『山本泰助長英』作と書かれている

墓碑銘『上野泰輔源長英』と記されている
金色の出世鯉が水面より天に昇ろうとするところ

黒のビロード。町名の文字は、銅版切抜文字純金焼付。

塩瀬羽二重、飾に対し新綴(つづれ)織荒波模様染出、緋織幕紋
左上の写真の垂は展示用のものです。

 この傘鉾は、流金出世鯉(るきんしゅっせこい)という名前を持っています。銀屋町が尾張藩へ献上品(銀細工)を納めていたことから、尾張藩の象徴である金のシャチホコを傘鉾の飾に使おうとしたが、尾張藩への遠慮もあって「鯱」とは言わず「出世鯉」と呼んだと言われています。
 あまり知られてはいませんが、「胸鰭」が固定式ではなく、可動式になっています。「からくり」のようには動かせませんが、傘鉾の動きに合わせて揺れるように動きます。きっと、当時の職人魂の表れでしょう。
 また、ある方から鯱の口が開いたり閉じたりできたとお聞きしました。手本にしたと思われる香炉がヒントになっているかもしれません。