長崎くんち「銀屋町鯱太鼓」TOP鯱太鼓/山飾

「山飾」と呼びます

 平成25年12月から鯱太鼓は「山飾(だし)」と呼ぶことになりました。これまでは「櫓」や「山車」を使うこともありましたが、今後公式には「山飾」と書いて「だし」と呼ぶことにしました。どうぞよろしくお願いします。なお、子供達の囃子は『櫓囃子』のままのようです。


 平成19年、ある取材をきっかけに鯱太鼓を「櫓」と呼ぶ人、「山車」と呼ぶ人がいることを知りました。どちらが正しいかある人に尋ねれば判ると思い、尋ねたその答えが『「櫓」なんだろうけど、「山車」と呼んでいる。』という微妙な回答。それでも格好のネタを戴いたことには変わりません。

櫓 とは何か

「櫓」は「矢倉」とも言い武器庫又は門や塁上に設けた矢で応戦する高い建物のことです。更に物見や太鼓を叩く場所にも用いられ、材木等を組み合わせて作った高い足場をもつ建造物を「やぐら」と呼ぶようになったそうです。そこから火の見櫓、盆踊りの櫓などが生まれたのでしょう。
 ちなみに櫓で叩く太鼓を櫓太鼓と呼ぶそうで、鯱太鼓に乗って太鼓を叩く子供達を「櫓太鼓」と呼んでいるのはそれに通じるのでしょう。
 他でも述べていますが、鯱太鼓は天守閣をイメージしています。櫓太鼓の子供たちが乗ることもあって「櫓」と呼ぶのでしょう。しかし、これまで述べたことから「櫓」は固定した建造物(天守閣も同様)を指すようです。また、祭礼との関わりも見えてはきません。「櫓」とは別の呼び方をするようになった理由かもしれません。

 しかし色々調べてみると、戦国時代の軍船である安宅船(あたけぶね)に櫓を見ることができます。この頃の船は甲板に楯板が並べられその隙間から鉄砲や弓で敵船を攻撃する「矢倉」になっており、更にその上に櫓が乗って城郭施設見えたといいます。特に大型の安宅船には二層から四層の楼閣があったと云われ、その構造と重厚さから海上の城に例えられたとか。そうであれば、鯱太鼓のイメージにかなり近づきます。

山車 とは何か

「だし」は祭礼に使われる出し物のことで、一般に「山車」と書かれるようです。語源は、神社の境内から外に出す出し物であるという説。傘鉾の飾(だし)同様、「だし」が付いていたからという説があるそうです。

「山車」という漢字をあてるのは、祭礼で用いられる自然の山岳を模して造られた依り代(よりしろ)を山と呼ぶことに関連していて、最も一般的なものが車輪の付いた曳き山(ひきやま)であった為に「山車」が使われるようになったそうです。なお、曳山の他に巡行されない置き山やかき棒のついた舁き山(かきやま)のような形状のものがあるようです。その原型は、833年の仁明天皇の大嘗会に曳きたてられた標山(しめやま)だそうです。この標山については榎津町さんのサイトの「くん知恵蔵:傘鉾とは何か」に詳しく書いてありますので、是非ご覧下さい。
 「だし」は山(やま)の中心に立つ鉾(ほこ)の先端にある髯籠(ひげこ=竹を編んで、編み残しの端をひげのように延ばした籠)のことで、神様の依代(よりしろ=神が降臨する所)だそうです。これが理由で後に鉾の先の飾りを「だし」と言うようになったのでしょう。また祭礼に使われる出し物を「山・鉾・だし」のいずれかで呼ぶのも出し物が山・鉾・だしから構成されている為と思われます。

 さて鯱太鼓が「山車」であるとすると一つだけ疑問が生じます。「山車」の基となる山は山岳を模して造られており、山は大地の上にあります。だから担ぎ手の半纏に描かれる「波=鯱の棲む海」と結びつかないのです。やっぱり「櫓」なのかもしれません。

※「櫓」か「山車」か?今の私にはどちらは判りません。明確になったらこのページに書けると思います。
 また、とある噂を聞いていますがとても此処には書けません。どこか他所に書くことにします。

>>平成19年12月29日更新
 平成19年12月に子供達の囃子を『櫓囃子』と呼ぶことに決まりました。
 したがって、『櫓』と呼ぶのが正しいと思われます。


平成19年08月27日公開、平成19年12月29日更新